埋没法

モンティ・パイソンによる劇場用の映画第一作目。BBCで1969年から放映された『空飛ぶモンティ・パイソン』TV第二シリーズ後に、同TVシリーズで使用されたスケッチを選択し、映画として撮影しなおしたものであり、その点は『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』、『人生狂騒曲』等のオリジナル脚本による作品とは異なっている。 『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(Monty Python and the Holy Grail)』は、1975年に公開されたモンティ・パイソンによる低予算で作られたコメディ映画。 イギリスのアーサー王伝説をもとにした、パロディ作品。 制作費がとても少なく、城のセットに本物の城跡を使用したり、FX やセットを何度も使い回しているが完成度は高い。なお、アーサー王伝説を扱った映画のなかで最も時代考証が正しい映画だと言われている。これは中世研究家であるテリー・ジョーンズの面目躍如と言ったところであろう。なおジョーンズによれば「アーサー王は10世紀頃の人物と言うことになっているけれど、『アーサー王物語』が成立したのは14世紀頃のため、その時代の服装を採用した」と語っている。 本人達の予想以上のヒットとなってメンバーは胸をなで下ろしたとか、この作品の直後に公開されたまじめなアーサー王映画で大爆笑が起きたという逸話もある。 2枚組のDVDがユニバーサルより2002年3月21日に発売されている。山田康雄らによる日本語吹き替えも収録。さらにその日本語台本を元にした直訳英語字幕が世界共通で収録されている。日本版での字幕は日本語と英語の他にはフランス語とスペイン語、更には進行台本字幕と、「本作が嫌いな人用」と称してウィリアム・シェイクスピアの「ヘンリー四世:第二部」の英語字幕が流れるバージョンがある(全く無関係な作品だが、稀に本編とシンクロする箇所があり、また格調高い字幕とコメディの台詞のギャップが笑いを誘うようになっている)。 かつてレーザーディスクで発売された当時に、既に物故していたチャップマンを除くメンバー全員の映画にまつわるコメンタリー音声が収録されたが、DVD化に際してはこれに加えて「世界共通特典」が大量に盛り込まれた(盛り込みすぎで発売が半年以上遅れたというエピソードまである)。 特典ページのメニューは、ギリアムがストックから新しいアニメーションを作成して提供している。内容もジョーンズとペイリンが撮影地巡りをしながら当時の思い出話を語ったりする50分ものコーナー、当時のポスターや予告編、メイキングドキュメント等々に加え、ペイリンが劇中のネタを元にした新作スケッチを披露したりという熱の入れぶりである。 2004年には新規特典を追加した再発DVDが発売され、FX 取引 は2008年ソニー・ピクチャーズエンタテインメントより発売された。初版DVDにあったオリジナル・モノ音声が除かれ、日本語吹き替えの一部が欠損している。 『屋根の上のバイオリン弾き』(やねのうえのバイオリンひき、英語原題:Fiddler on the Roof)は1964年のアメリカのミュージカル。ショーレム・アレイヘムの短篇『牛乳屋テヴィエ』を原作としている。テヴィエ(Tevye)とその家族をはじめとして、帝政ロシア領となったシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたものである。この作品には19世紀末のシュテットルの様子が良く描かれているという。 テヴィエはウクライナ地方の小さな村で牛乳屋を営むユダヤ人一家である。亭主関白を気取ってはいるがその実、妻には頭が上がらない。5人の娘に囲まれ、ユダヤ教の戒律を厳格に守ってつましくも幸せな毎日を送っていた。 テヴィエは娘たちの幸せを願いそれぞれに裕福な結婚相手を見つけようと骨を折っている。ある日、長女のツァイテルに金持ちとの結婚話が舞い込むが、彼女にはすでに仕立屋のモーテルという恋人がいたのだった(仕立屋は7人で一人前ということわざがあり、男性として頼りないイメージがある)。テヴィエは猛反対するが、二人は紆余曲折を経て結婚する。また、次女ホーデルは共産革命を夢見る学生闘士パーチックと恋仲になり、逮捕されたバーチックを追ってシベリアへ発ち、さらに三女はテヴィエが敵視するロシア青年と駆け落ちしてしまう。 劇中で次第にエスカレートしていくユダヤ人迫害は、終盤でユダヤ人の国外追放が始まり、FX たちは着の身着のまま住み慣れた村から追放されるまでになる。題名となる屋根のバイオリン弾きは、テヴィエの台詞の中で、危なっかしくもその日を暮らすユダヤ人の例えとして象徴的に登場する。 原作ではイスラエルの地へ帰還するが、ミュージカルではニューヨークに向かう所で話が終わる。 1920年代、アメリカには移民法が成立するなどし、移民の流入が阻まれた。そのために、ニューヨークにおけるユダヤ教徒の表現活動は、次第に東欧出身の1世から2世へと重心を移すようになっていったといわれる。そして、2世以降の若者は、ショレム・アレイヘムなどを東欧のイディッシュ語で楽しむ能力も余裕も失っていった。 1960年代に「屋根の上のバイオリン弾き」がブロードウェイ・ミュージカルとして大成功をおさめたのは、英語しか理解しない世代の台頭と、それらの世代の父・祖父の世代の世界へのノスタルジックな回帰、という時代風潮があったといわれる。 ユダヤ系移民に限らず、1世と2世などの「世代間の断絶」がアメリカの家庭にとって極めて切実な問題となっていた時代に、この作品はユダヤ系アメリカ人にとどまらず、一般に好評を博した。 原作はヴィスコンティと同じくイタリア貴族の末裔である、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa)の長編小説。王制の終焉を迎え、没落していくイタリア貴族を描いた作品で、ランペドゥーサ自身の体験を基に描いたフィクションである。映画では全8章のうち第6章までを取り上げている。 第6章の舞踏会の場面が全編のおよそ3分の1を占める。同シーンに貴族の役で登場している多数のエキストラたちは、3分の1が実際のシチリア貴族の末裔たちである。また、スタンリー・キューブリック監督『バリー・リンドン』などと同様、人工の光源を排除して自然光のみで撮影されている。室内での撮影で不足した光量を補うため多数の蝋燭が点火されたが、そのためにセット内は蒸し風呂のような暑さとなった。劇中でキャストがしきりに扇を仰いでいたり、汗に濡れていたりするのは演技ではない。 この作品はヴィスコンティのフィルモグラフィーのちょうど中間に位置し、イタリアン・ネオレアリズモの巨匠と謳われたヴィスコンティが初めて貴族社会を取り上げた、後の作品に続く転機となった作品である。また自身の血統であるイタリア貴族とその没落を描いた意味で、「ヴィスコンティが唯一自身を語った作品」と評された。 『若者のすべて』以来、プライベートでも親密な関係だったアラン・ドロンとヴィスコンティは本作以降、絶縁状態になった。バート・ランカスターよりギャラが安いのを不満に思ったドロンが、ヴィスコンティにギャラアップを迫ったのが原因であると言われている。『若者のすべて』で起用した脚本家、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレとマッシモ・フランチオーザ、そしてエンリコ・メディオーリを同作につづいて採用したが、カンパニーレとフランチオーザは本作公開の1963年、『つかの間の恋心』を共同監督し、映画監督としてデビュー、その後のヴィスコンティの共同執筆体制から離脱した。『熊座の淡き星影』には、『ベリッシマ』以来のダミーコとメディオーリが残った。